【保育士の転職】田舎の保育園は近隣住民の閉鎖的な目が怖い。都会の保育園では父親も母親も子育てを頑張る姿に目から鱗だった。民間園は勤務条件が辛いが、公立園は長く働き易い。

【保育士の転職体験談】田舎の保育園は近隣住民の閉鎖的な目が怖い。都会の保育園では父親も母親も子育てを頑張る姿に目から鱗だった。民間園は勤務条件が辛いが、公立園は長く働き易い。

【性別】女性
【働き始めの年齢】
20歳
【転職時の年齢】
24歳
【転職して何年経ったか】
34年
【その後】
さらに転職し保育士以外の仕事をしている


【女性】
24歳のときに、
認可保育園から、
認可保育園
に転職。




【転職前の職場形態】
保育園(認可保育園)
【転職前の職場環境】
1983年、短大の保育科を卒業して新卒で私立の認可園に勤務。
当時は男女雇用機会均等法も無く、採用時に口約束だが結婚したら退職するようにいわれた。
同じ市内の園だったが市街地からは外れた田舎にあったので、街で生活している者としては信じられないくらい変なことで噂が立った。
当時流行っていたウォークマンを聴きながら通勤していると、あの先生は耳が悪いのか?ふんわりしたワンピースを着ているといつのまにか副園長と結婚していて妊娠しているなどの噂を立てられた。
園の規模は90人定員+αで職員数は定数通り。
乳児保育がなく田舎ということもあり地域では幼稚園のような役割もあり、園が私的に契約している児童が数%の割合でいた。
そのため働いていない保護者もいて、全体的にのんびりしたムードがあった。
職員は給食担当以外は25歳までの独身女性で、気に入らない職員には情報を回さない、引き継ぎをわざと行わないなどの女性特有の陰湿ないじめがあった。
給料はその自治体職員の給与に準じていた。
休みは取りにくくて休んだ職員のクラスのフォローなど基本的には主任保育士が行っていたが、休み明けには必ず嫌味を言われた。




【転職の理由】
人間関係が悪く精神衛生的に大変辛かった。
田舎という土地柄でものすごく人目を気にしなければならなかった。
お寺さんがやっている家族経営の保育園だったため、園長夫人が当時独身で年が近かった副園長との縁談を持ち出し、わたしには結婚したい相手がいたため早急に逃げ出さねばと思ったので。

【ためらった理由】
初年度から人間関係のしんどさにギブアップしようとおもったが、就職して1年や2年で転職というのは自分に根性がないと思われると嫌だと思ったため。
とりあえず3年は頑張ってみようと思ったので。
(実際は4年間勤務した)
4年目は管理職(主任保育士)に任命されたため、自分のキャリアアップのためにやり遂げようと思った。

【転職の決め手】
勤務して4年目の夏に病気で倒れて三ヶ月間入院生活を余儀なくされた。
完全にオーバーワークだったと思う。
中間管理職の私のフォローをする人がいないと思い込んで頑張っていたが、私がいなくてもどうにか園が回っているということに気が付き、頑張るのが馬鹿らしくなり、このままこの園で仕事を続けると本当に心身共に病んでいくと感じ、当時お付き合いをしていた現在の夫と話をして結婚することを決め、キリのいい同年度3月を持って退職することに決めた。
園長からは結婚しても続けて勤務をしてほしいと言われたが、採用時のお約束が結婚したら退職だったので、と笑顔で返してやった。
先輩たちからはたいそう妬まれたが笑顔で無視した。
私の母親は仕事を辞めてどうするんだと責められたが、父親は私の園での勤務実態を知っていたので、精神衛生上も身体的にも良くないと、退職を賛成してくれた。
寿退社という言葉が無かった時代だったが、当時で一番正々堂々とした理由で退職してスカッとした。




【相談した人】
数少ない仲の良い同僚。
愚痴を言いながらも今はもう頑張ろうと励まし合いながらよく居酒屋で飲んだ。
学生時代の友人たち。
民間園勤務の友人はみんな似たり寄ったりの状況だった。
どういう形で辞めるのが一番良いかや公立保育園の採用試験の傾向と対策を話し合ったりもした。




【転職サイトを使ったか】
転職サイトは使っていない

【どうやって転職したか】
当時はそういうものがなかった。
あったら色々な条件で自分に合っていて長く働き続けることが出来たのではと感じる。

【転職時に困ったこと】
学校で就職の紹介をしてもらって保育園に就職するという形が一般的だった時代。
転職はマイナスのイメージしかなかった。
ピアノ教師の仕事も考えたがピアノグレードをとっていなかったのでセカンドキャリアに進むのは大変だった。

【転職でお世話になったこと、嬉しかったこと】
引っ越したがその都度登録して仕事ができた。
公立園は登録制で臨時職員を随時募集しているので、それを参考にして次の保育園を決めた。
当時は転職情報誌がやっと出始めた時代で。
そういうものを活用したり、職業安定所に行くなどして転職活動をしていた。
登録制の制度があるというのは学生時代の友人から聞いたもので、その後色々な自治体へ引っ越しのたびに登録して仕事ができた。




【転職先を決めた理由】
自宅から程よく近くて自転車でも通えた。
勤務時間が明確。
退勤時間になるとしっかり上がれた。
持ち帰りの書類の仕事が無かったこと。
制服が貸与されること。




【退職する時の心境】
担任していた子どもたちの卒園と同時の結婚退職だったので、子どもたちからは泣かれ、保護者の方達からは祝福された。
仲の悪い同僚たちからはものすごく妬まれ、送別会の時に結婚なんてしょうもない、一人の人に縛られるなんて自分だったら嫌だと言われたが、笑って無視した。
仲の良い同僚は結婚式に呼んだ。
ある意味花道的な退職の仕方だったのでやり切った感があった。




【転職後の職場形態】
保育園(認可保育園)

【転職後の職場環境】
大阪の衛星都市にある保育園に勤務したが、制服が貸与されじぶんでジャージやトレーナー、Tシャツなどを買う事がなく出費を抑える事ができた。
公立園=幅広い年齢層の職員がいて、人生の先輩たちから保育以外のこともたくさん学ぶ事ができた。
90人定員の保育園で、職員数は定数+α(障害児保育の充実のための加算人員)駅チカ街中の保育園で保護者の皆さんは皆忙しそうにしていた。
父親の送り迎えのケースも多かった。
給料は田舎の市よりもずっと良く、半年継続して勤務すると有給休暇が3日もらえた。




【転職後のイマイチなところ】
臨時職員として仕事はまぁまぁあったが、新年度に子供の数が少ないとその間に産休、育休、病休などで休んでいる職員がいないと契約が解除になり、自宅待機ということもあった。
また準公務員ということで公務員としてのモラルや姿勢を求められた。

【転職後の良いところ】
私が勤務した自治体は臨時職員は時差勤務が無く、一定の時間勤務したら残業することもなく退勤できた。
勤務時間は午前9時から午後5時まで。
勤務内容は障害児の保育が中心だった。
都会の保育園なので色々とカルチャーショックがあった。
父親の育児参加も多く見られたのでやはり田舎と都会はちがうなと感じた。
保育者はベテランが多く、分からないことや困った事があればなんでも相談できた。
仕事のことだけでなくプライベートでも可愛がってもらえた。




【生活と心境の変化】
結婚して生活と仕事の両立をしていかなければいけないということだったが、時間が固定されていて残業や持ち帰りの仕事のない勤務内容だったので、心と時間に余裕が持てた。
年齢の離れた大先輩たちから保育のことだけでなく、人生についての指針のようなものも教わり今に大きく生きていると思う。




【ズバリ!】
転職して良かったと思う。



【転職前の自分へアドバイス】
保育士の仕事をやり続けるのなら、公務員になること。
しっかりと傾向と対策を調べても勉強をして色々な自治体の採用試験を受かるまで受け続ける根性を持つこと。
そして受かったら結婚しようが出産しようが仕事を続けること。
そうしたら保育の仕事がきっと自分のライフワークになっていただろう。
あまりにも物を知らなさすぎたので、色々勉強しろと言ってやりたい。